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「もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います」自分らしさと誠実に向き合う彼女の祈りのVOICE(女優・モデル/26歳)
「もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います」自分らしさと誠実に向き合う彼女の祈りのVOICE(女優・モデル/26歳)

「もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います」自分らしさと誠実に向き合う彼女の祈りのVOICE(女優・モデル/26歳)

「もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います」自分らしさと誠実に向き合う彼女の祈りのVOICE(女優・モデル/26歳)

何気なくインスタグラムを見ていたら、スキンヘッドの女性が目に飛び込んで来た。
見ているこちらまで元気をもらえそうな満面の笑顔。 しばらく眺めているうちに、どこかで見覚えがあることに気づいた。 初対面のはずなのになぜか懐かしい。 記憶の糸をたどっていくと、実家の本棚にある1冊の写真集に行き着いた。
「トウキョウイルカ」
都会に住んでいる少女が伊豆諸島でイルカと一緒に泳ぐという絵本のような写真集で、 当時高校生だった僕は中学生の彼女に出会っていた。

彼女の名前は、相川結。
現在は地元の神戸を中心にフリーランスで女優やモデルの活動をしている。 インスタグラムには、スキンヘッドの他に、 金髪やベリーショートなど個性あふれる写真が目を引く。 記憶の中の黒髪で儚げな少女と、 インスタグラムの中のスキンヘッドや金髪の大人になった彼女。

この10年の間にどんな心境の変化があったのだろうか?
話を聞いてみることにした。



まだ、梅雨が明ける前。空をまばらな雲が覆っている穏やかな日曜日。
待ち合わせ場所に現われた彼女は遠目でもよく分かる。インスタグラムで初めに見たスキンヘッドから少し髪が伸びて、綺麗な坊主頭になっていた。

1994年12月。阪神淡路大震災の1ヶ月前に兵庫県で生まれた彼女は13歳で芸能活動をはじめる。養成所に入ってすぐ、東京の芸能事務所からスカウトされ、学業の合間をぬってCMやドラマに出演するようになった。20歳の時に、幼い頃から続けていたクラシックバレエの活動を優先するために芸能事務所を退所。その後、SNSを開設したことをきっかけに、フリーで女優やモデルの活動をはじめて現在に至る。

一見、様々な経験を経て自分らしい生き方を見つけた恵まれた女性の話に思えるが、これまで歩んで来た道は意外にも苦難や葛藤の連続だった。

「中学生の時から芸能活動をはじめたんですけど、当時、所属していた芸能事務所がアイドルとして育てようとしていたみたいで、グラビアがはじまったんですよ。その頃はお芝居に興味があったので、なんでグラビアなの?ってずっと違和感がありました。詳細を知らずに、撮影現場に行ったらひも(ビキニ)が置かれていたみたいなこともあって、お母さんは怒ってたけど、マネージャーさんは『断ってたら、仕事来ませんよ』って。今、思えば中3の女の子にそんなこと言うなよって思いますけど、、、」

「もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います」自分らしさと誠実に向き合う彼女の祈りのVOICE(女優・モデル/26歳)

中学校1年生の時に当時夢中になっていたアイドルに一目会いたいという理由で飛び込んだ芸能界。経験を重ねるうちにお芝居の魅力にハマっていく一方で、「売れたい」とか「有名になりたい」と思ったことは一度もなかった。本当はマイペースに好きなことに打ち込んでいたいと思っていたが、まわりの大人はそれを許してくれなかった。

「『有名な女優さんになりたいなら、ほら、見て、みんなグラビアやってるでしょ』って大人から言われたら『ああ、そうなんや』って、大人が正しいと思ってしまう。まだ、子どもだったから、おかしいなって思った部分があっても言いくるめられてた部分もあったと思います。一番しんどかったのは『結ちゃんは商品なんだよ』って言われたことですね。未だに、心に残ってるくらいすごく傷つきました。でも、それを言われてから、意識が変わったんです。自分は関わってる人たちの見たいものにならないといけないんだと思うようになりました。10代の時にそれを植え付けられてしまったから、その考えは中々抜けないし、未だに抜けてないところもあります。だから、ずっと変われなかったというか」

彼女が置かれていた状況は当時の芸能界では特別なことではなかったのかもしれない。ただ、まだ体も心も未成熟なひとりの子どもが大人たちの都合によって商品にされていく過程の話を聞くと、果たしてこれでいいのだろうかと疑問に思わずにはいられない。そんな環境の中で活動を続ける彼女はどのように自分に折り合いをつけていたのだろうか。

「もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います」自分らしさと誠実に向き合う彼女の祈りのVOICE(女優・モデル/26歳)

「当時は子どもだけど、ものすごく大人びた子どもだったから。諦めがあったんだと思います。ファン向けのイベントをした時におじさんばっかりでも、ニコニコしないといけない。でも、ファンの人たちも私を好きで来てくれてるからって、その気持ちだけで頑張っていました。グラビアとかをやることで異性から性的な目で見られることについては、当時はあんまり深く考えたことはなかったです。完全に別人だと思ってやっていたところがあったかもしれません。本当はやりたいことと違う仕事でも、数年間育てて来た『相川結ちゃん』をむげには出来ないという思いがありました」

普通は出来ない貴重な経験をさせてもらっている。グラビアはやるけど清純派として売り出していて過激なショットはないからまだ大事にされている。事務所に対しても、芸能活動に対しても、マイナスな感情ばかりではなかったので簡単に切り捨てることが出来なかった。

「もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います」自分らしさと誠実に向き合う彼女の祈りのVOICE(女優・モデル/26歳)
「トウキョウ  イルカ」相川結 / HIROKAZU  ジュピマール 2009年
中学3年の夏休みに写真家 HIROKAZUの作品集に出演。
この写真集は彼女のお気に入りで、今でもこの写真集を持って来て声をかけてくれる
ファンがいることを嬉しそうに話してくれた。

17歳の時、4歳から続けていたバレエの教室で、先生からアシスタントをやらないかという誘いを受けた。バレエの活動がどんどん忙しくなって、しだいに芸能活動との両立が難しくなっていった。そして20歳の時に、芸能事務所を退所することに決めた。物心ついた時からずっと続けているバレエは彼女の生活の一部であり、心の支えだった。

「私の中でバレエはすごく大きな存在で、バレエがない人生って考えられないくらいです。先生は厳しくて、お稽古はすごい大変だけど。踊っているのが好きだし、お友達に会えるって楽しみもあった。バレエはずっと心の支えでもあって、だからこそ捉われていた部分もありました。絶対に捨てられるわけがないから」

芸能活動を一旦辞めて、大好きなバレエの活動に専念できるようになった。だが、バレエの世界も甘くはなかった。休む暇もないレッスンの日々と不安定な経済状況、追い詰められたた彼女は心身のバランスを崩してしまった。

「もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います」自分らしさと誠実に向き合う彼女の祈りのVOICE(女優・モデル/26歳)

「バレエは本当に忙しくて、毎日お稽古が当たり前で、その合間に自分が持っているクラスのレッスンもしないといけない。その上お金がかかるので、どんどんお金がなくなっていく。稼いだお金は全部バレエの活動に消えていくような状況で、だんだん精神的な余裕がなくなっていって、ある日ぷつんと切れてしまったんです。完全に身体を壊して、毎日吐き気や震えが止まらなくなって、外に出られなくなってしまいました」

病院に行くとパニック障害であると告げられた。大好きなバレエに行くことも出来ず、家に引きこもる生活が続いた。そんな出口の見えない日々の中で、思わぬ転機が訪れる。

「家に引きこもってずっとネットばっかりしてたら、お見合いサイトが出てきて、ふと結婚したいなと思って登録したら、今の旦那さんと出会えたんです(笑)その時は外に出るだけでしんどかったのですが、まずは手を繋いで近くの公園に連れて行ってくれるところからはじめて、彼がずっと支えてくれてました」

出会った頃は外に出ることすら難しい状態だった彼女は、彼の支えによって、まずは人目が気にならない真夜中の公園、次は人の少ない夜のレストランと、徐々に行動できる範囲を広げていった。日々の小さな一歩の積み重ねの中で、自分が今出来ること、まだ出来ないことが分るようになって、出来ることの幅をちょっとづつ増やしていこうと考えられるようになったという。かつては「踊ってない自分は自分じゃない」と思うくらい、全てを捧げていたバレエに行くことが出来ないという辛い現実に対しても、パートナーと対話を重ねる中で、徐々に向き合えるようになっていった。

「バレエが全てという私の思い込みを解くのって、すごく大変だったと思います。世間体を気にする家で育ったこともあって、それまでの私の中にはこうあるべきという考えが根強くありました。そんな私に対して彼は、バレエから自由になることが私を生きやすくすると考えて、バレエのない世界をひたすら見せ続けてくれました」

1日中予定のない休日を過ごしたり、ゲームセンターや映画館に行って遊んだり。そんなありふれた日常が、これまで家庭や学校、芸能界、バレエとずっとまわりの大人の期待に応えるために息をつく間もないほど忙しい毎日を過ごして来た彼女にとっては、なにより新鮮だった。一番苦しかった時、ありのままの自分をまるごと受け止めてくれる存在と出会えたことで、彼女は再び前を向くことが出来たという。

パートナーのひたむきな支えによって少しづつ元気を取り戻していった彼女は、フリーランスとして女優やモデルなどの芸能活動をはじめることにした。

活動再開後、「自分を変えるために苦手なことに挑戦してみたかった」という動機で参加したオーディション ミスiDのYoutubeチャンネルには、涙をこらえながら赤裸々に当時の胸の内を話す彼女の動画が今も残っている。

「もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います」自分らしさと誠実に向き合う彼女の祈りのVOICE(女優・モデル/26歳)
 ミスiD 2018 相川結 003 /132 / ミスiD公式Youtubeチャンネル

中学生の頃は芸能活動をするには事務所に所属する以外の選択肢がなかったが、気づけばSNSを活用して個人でモデルや俳優として活動する人も珍しくない時代になっていた。長く険しい道を越えて、彼女はようやく自分がやりたいことに思いっきり打ち込める自由を手にすることができたのだ。

改めてそんな彼女が今回どんな心境でスキンヘッドにしたのか、質問をぶつけてみた。

「やったみたかったからやった以上に特に深い意味はないんですけど。スキンヘッドにする前に、金髪やベリーショートにしたことがあって、その時は、たぶん自分を変えたいと思ってやったんだと思います。今の自分がイヤになることがよくあって、自己肯定感がすごく低いんです。そんな性格をずっと変えたいと思っていて、今の自分から脱却したいって時にぱっと髪型を変えることが多いかもしれないです」

「もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います」自分らしさと誠実に向き合う彼女の祈りのVOICE(女優・モデル/26歳)

日本では街中でスキンヘッドの女性を目にする機会はほとんどない。ましてや、モデルなど人前に出る仕事をしていてファンを抱える彼女にとって、スキンヘッドになることは大きな勇気がいることのように思える。受け入れられなかったらどうしようという不安はなかったのだろうか? 

「スキンヘッドができた一番の理由は旦那さんの存在です。やっぱり、一番好きな人に嫌われたくないから、彼がもし、スキンヘッドにすることを嫌がっていたら、出来なかったと思います。でも、逆にすすめてきたんですよ(笑)私が『坊主にしてみたい』って旦那さんに言ったら、『いいよ。いいよ。せっかくやるなら、スキンヘッドにしたら』って。あなたがそう言ってくれるのならしようかしらって自信がつきました。ファンの方については、私が認知している人が一定数いらっしゃって、その方々のことはものすごく信じているんです。私の全部を受け入れてくれる人たちって自信があるので、こんなことをしたら嫌われるかもって感覚はなかったですね」

「もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います」自分らしさと誠実に向き合う彼女の祈りのVOICE(女優・モデル/26歳)
instagramに投稿されたスキンヘッドの写真
多くの反響が寄せられた
キャプションには「 私の想いが少しでも伝わって 誰かの背中を押せていると嬉しいです。」と思いがつづられている。
Photographer / Masaki Kono   Make up / Keito

まわりの人たちの後押しもあって実現できたずっと一度はやってみたかった髪型。

彼女にとってはあくまでやりたい髪型をやってみただけだったのだが、予想外の大きな反響があった。スキンヘッドの写真を投稿したインスタグラムには数百件のコメントがついて、そのことを報じたWEBニュースの記事がyahooニュースに掲載された。WEBニュースのコメントには、「勇気をもらいました」「私もやってみたい」という好意的なものが大半だったが、中には「似合ってない」「売名行為だ」などの誹謗中傷もあった。

思わぬ反響に戸惑いながらも彼女はそんな社会の声と向き合ったいた。

「スキンヘッドにしたことについて、私のまわりの友達はポジティブでなんでも面白がってくれる人が多いので『なんでそんなことするん?』って人は1人もいなかったので、ネットのコメントでいろんな意見を見た時はびっくりしました。世の中には、女性がスキンヘッドにすることに対して、色々理由を深読みしたり、否定的な意見を持つ人もいるんだなって。逆に『勇気をもらいました』ってコメントもたくさんあって、何かに挑戦したいと思ってる人たちの背中を押せたのかってことにその時はじめて気が付いたんです。スキンヘッドにしたこと自体には『やりたかったから』意外に意味はなかったのに。みんなが『勇気もらいました』って言ってくれたから、『ああ、そんなこと思ってくれるんや』って」

まわりから服装や髪型に関して縛られる経験はきっと誰にでもあるはずだ。例えば校則や就業規則などの具体的な規定があるものから、親や、恋人、所属する集団から押しつけられる暗黙の縛りまで。自分の身体が自分のものであることは疑いようもないはずなのに、心から自分の好きな格好で生きることは実は簡単ではないのかもしれない。

「もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います」自分らしさと誠実に向き合う彼女の祈りのVOICE(女優・モデル/26歳)

「他人の目を気にしない生き方をしたいなって思いがずっとあります。スキンヘッドにした時、はじめは外に出る時に帽子を被ってたんです。やっぱり、めちゃくちゃ見られるので。そんな他人の目をなんとも思わないで生きていけたらいいなと思うんですけど、なかなか難しいですね。みんなの中の『ふつう』って本当はそれぞれ全然違うはずなのに、世間一般の『ふつう』に一括りにされてしまう。もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います。本当は自由なんやろうけど、みんな人の目を気にして自由じゃなくなってしまっているから。それがなくなったらいいなって」

先日幕を閉じた東京オリンピックでは、人種や年齢や性別、外見の違いを互いに認め合って尊重する社会の実現=「ダイバーシティー&インクルージョン」が掲げられながら、その理念に反する問題が続出して世間を落胆させた。私たちの生きる社会は、多様性と調和からはまだまだほど遠いところにいる。だけど、そんな社会を変えていくのは、ひとりひとりの意識と行動の積み重ねしかない。今回、話を聞いた彼女がこれまで経験した葛藤や挑戦は、そんな社会を前進させる一歩になっていくのだと思った。

「金髪とか、スキンヘッドにすると本当に仕事がこないんです(笑)本人は楽しいですけど。世の中からはあんまり求められいない気がします。例えば、CMとか、ドラマとか見ても、金髪の女優さんってあんまりいないですよね。だいたいみんな黒髪じゃないですか。そういうところからですよね。もっと、いろんな髪型とか、髪の色の人がいたら、それを見た人も『ああ、これもありやな』ってなると思うんですけど」

「もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います」自分らしさと誠実に向き合う彼女の祈りのVOICE(女優・モデル/26歳)

最後に、かつて彼女が悩んでいた頃と同じ歳の、今の10代の子たちへのなにか伝えたいメッセージはありますか?と問いかけてみた。

「これは自分に対して言い聞かせてることでもあるんですけど、何より自分を一番に大切にして欲しい、自分を好きになってあげて欲しいなって思います。後は、やりたいと思ったことは、まわりの目を気にせずになんでもやってみたらいいんじゃないかな」

今でも自分を嫌いになる日や自信を失う日もあるという。心のしんどさとは今も付き合い続けている。毎日小さな自信を拾い集めながら、体調に合わせて出来ることに挑戦している。10年前に写真集で出会った少女は、時に社会の不条理や他人の視線にまどいながらも、しっかりと自分の人生を生きていた。

「まだまだ、立ち直り途中なんですよ。私自身がずっと生き辛いんです。
変えたいんですけど、変わらないみたいな」

生き辛い現実とまっすぐ向き合い続ける彼女の誠実さは、きっとこの先「社会のふつう」と「自分らしさ」の間で悩む誰かの希望になるはずだ。

「もっと、みんなばらばらでいいのに、自由があればいいのになって思います」自分らしさと誠実に向き合う彼女の祈りのVOICE(女優・モデル/26歳)
Credit
The Voice / Yu Aikawa
Photographer/ Mizue Kitada
Edit / Yuki Yamamoto
Text / Yuki Kanaitsuka
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