電通でコピーライターとして働きながら、プライベートで、人々の「隙」を撮り続ける男がいる。日下慶太、通称ケイタタ。彼が生み出す表現には、どこか物哀しくも優しい眼差しがある。「ルーザーに優しくありたいんですよ、僕もそうやから」。そう語る彼の、愛と哀愁のVOICE。
川のほとりで話す2人の女性の写真。一見なんともない風景に見えるその写真には、こんなコピーが添えられている。「清流のほとりで会社の同僚の悪口を一人一人あげていく」。
また、次の写真では、あきらかに相容れないであろう2人の男性がカフェで向かい合っている。添えられたコピーは「講師はB-BOY」。
「どうやったらそんな決定的な瞬間と遭遇できるの?」と思わず聞きたくなるような写真に、クスッと笑ってしまう、状況を補足する秀逸なコピー。これらが収められているのは、写真集『隙ある風景』だ。
聞くと、大阪電通でコピーライターとして働いている日下慶太という男性がこの写真集を作ったと言う。彼はなぜ、どのようにして、この表現にたどり着いたのか。日々何を思い、シャッターを切っているのだろうか。日下に会い、話を聞く。
いつから写真を撮り始めた?
「大学生のときかな。きっかけはモテたいっていう不純な動機やったけど、どんどん撮るうちにハマっていって」
ずっとこのような写真を?
「いや、もともとは主に風景を撮ってたんよ。『ナショナルジオグラフィック』に出てくるような、海外の写真を中心に」
いつから今のような写真に変わっていった?
「入社して、しばらく経ってからかなあ。新卒で電通に入社して、最初は仕事の合間を縫って海外行って風景写真を撮ってたんやけど、いいと思える写真がなかなか撮れんくて。1週間くらい旅したところで、その土地の深い部分には踏み込めへん。賞とかにも応募したけど、全然あかんかった」
新卒で電通に入社し、コピーライターになった彼。ただ、広告業界での仕事には、広告主やタレントの意見など、さまざまな力学が働き多くの調整を要した。繰り返される細かな修正、タレントの知名度に頼った企画──。いい企画が通ったとしても、実際に制作するのは自分たちではない。
「自分が本当にいいと思ったものを、純粋に表現する場所がほしい」。大企業の中で広告の仕事をする彼にとって、写真は唯一の「自分だけで完結する表現」だったという。ただ、写真を続けたいと思いつつも、会社で働きながら海外で風景写真を撮ることに限界を感じた日下は、日本で自分が撮りたいものを撮ってみようと、テーマを決めず、日常の写真を撮り始めた。
無意識に撮っていると、公園でハトに怒るおじさん、人目も気にせず車内で騒ぐ人々、所狭しにベンチに腰掛けるサラリーマンたち……。日常でふと出会う、どこか「アホやなあ」とツッコミたくなるような風景に惹かれている自分に気づいたという。
「僕がシャッターを押したくなるのは、だらしないおっさんとか、しがないサラリーマン、寒空の下で凍えながら楽器を練習してる人など、どちらかと言えば、社会的に見ると”ルーザー”なんかもしらん。たぶん、ルーザーに優しくありたいんよね。僕もそうやから」
彼は自分のことを「ルーザー」だと表現する。それは、どうしてなのだろうか。
「まず僕は阪神ファンなんやけど、ちょうど青春時代、阪神が負け続けてた”暗黒時代”やったんですよ。やから負け犬根性がついたんです。『世の中は大体負けるんや』みたいなマインドになった」
ははは(笑)。
「社会人になってからも、病気になって会社を休職して、いわゆる会社の出世レースから敗退してしまった。腎臓の病気で、最近まで、約9年くらいかな?ずっと薬を飲みながらの生活やったんです」
クリエイターの第一線のレースからは脱落してしまった、と。
「そう。同じくらいに妹と母を亡くして。いろんなことがあって、東京で働いてたんやけど、いわば”負けて”大阪に戻ってきたんです。そしたら、『大阪ってルーザーに優しい街やな』ってあらためて思った。街の哀愁に救われた。だから僕は、どこか物哀しい、愛しい雰囲気が好きで、そういう写真を撮りたいんですよ」
じゃあ、写真集には大阪の写真が多い?
「写真集に収められている写真は、地方で撮影したものが7割、東京でのそれが3割くらいです。大阪だけじゃなくて、全体的に地方には、『どうせぼくらは日本の中心じゃないし』という哀愁が前提としてある気がする。やっぱり東京は、勝者の街じゃないですか。でも、そんな中にもルーザーはいるから、そこもちゃんと切り取りたいなと思ってます」
彼の写真は、日本各地の「哀愁」を見つめ続けているフォークロアとも言えそうだ。
*フォークロア 人々の日常生活で伝承されてきたものを通じて、現在の生活文化を相対的に説明しようとする学問のこと。
「50年後くらいに『平成の日本ってまぬけやな』とか『人間って愚かやな』とか、そんな風に思ってくれたらいいなって思いながら撮っています」
でも、愚かと言いつつも、ちゃんと優しさがある気がする。
「それは気をつけてます。Twitterに『#渋谷メルトダウン(#SHIBUYAMELTDOWN)』っていうハッシュタグがあるでしょ? 酔っ払いとかが晒されるやつ。あれには、愛がない、優しくない眼差しも多いと思ってて。そうはいうのは撮りたくないなあ」
じゃあ、愛を持って撮っているということ?
「うーん。ちょっとした哀しさや滑稽さ……そういうのを含んだ愛を持ってツッコミをしてる感じです。『何してんねん、ほんまアホやなあ』みたいな」
日下は、世界がそんなに美しくはないことを知っている。旅をしているとき、世界の貧困を自分の目で見た。仕事も最初から順風満帆なわけではなかった。病気を経験した。家族を亡くした。
世の中がうまくいかないこと、思い通りに進んでくれないこと、それらを知っている日下だからこそ、「それでもいいんだよ」と励ますような温かさ、「でも、悔しいよな」という物哀しさ、それらを全部ひっくるめた、愛ある眼差しで世界を見ることができる。『隙ある風景』は、そんな日下だからこそ紡ぎ出せる表現なのではないか。そんなことを思った。
この写真集を見ていると、ルーザーへの眼差しが変わり、また自分自身の弱さを肯定できる気がしてくる。彼の写真に励まされ、救われる人々が、きっとこれからも、たくさんいるはずだ。
「隙ある風景」 ケイタタ写真展
2019年11月24日(土) - 2020年1月12日(日)10:00-18:00 (最終日は15時まで)
ビジュアルアーツギャラリー
〒530-0002 大阪府大阪市北区曾根崎新地2-5-23