世界で大きく報じられた香港の大規模デモ雨傘運動で注目を浴びて「民主の女神」と呼ばれる周庭(アグネス・チョウ)さん。高校1年生の時にはじめてデモに参加してから7年。現在は香港衆志(デモシスト)の一員として香港の民主化運動を牽引しながら、流暢な日本語とSNSを駆使して現状を世界に発信し続けている。混乱が深まる中聞いた、彼女の日常、香港の未来、そして日本への思い。
「香港の学期は9月からなので、12月は1学期が終わる時期なんです。だから、今は大学生として一番忙しい時期で、論文を締め切りギリギリに書いて提出するという生活をしています。今朝も論文を1つ提出しました(笑)」
昨年末。PCの画面上にあらわれた周庭さんは苦笑しながらそう言った。「今はどんな日常を過ごされているんですか?」と冒頭で質問した後、大学生活の話が返ってきたのは正直意外だった。日本でメディアの報道やSNSを見る限り、彼女の置かれている立場は、予断を許さない状況が続いていると思っていたからだ。
2019年香港は揺れていた。6月に香港政府の「逃亡犯条例」の改正案への抗議活動からはじまったデモは長期化して、各地で警察と激しい衝突を繰り返していた。年が変わった2020年現在も未だに終わりが見えない状況が続いている。「民主の女神」として学生運動の象徴的存在である周庭さんが、普通の大学生活を送っていることは取材前には想像し難かった。ところがお互いの緊張をほぐすように彼女が話すのは、日本のアイドルの話題だった。アイドルの話をしていると表情が和らぎ声のトーンが上がる。本題に入る前にそんな話で一通り盛り上がった。
「私はなーちゃん(西野七瀬)が好きだから、卒業してからは、前ほど乃木坂46は推せないですね~」「欅坂46は、曲が本当にすごい。秋元康気合入ってんなって(笑)『サイレントマジョリティー』『不協和音』『月曜の朝、スカート切られた』『黒い羊』とかメッセージ性の強い曲が好きです」
昔はいろいろ精神的に大変だった時期もありましたけど、今は結構慣れちゃいました
今回の取材で聞いてみたかったのは、「何故、香港の若者たちは、国家という巨大な相手に対して、声をあげて闘い続けることができるのか?」という素朴な疑問だった。今の日本には「社会がこれ以上良くなることはない」というゆるやかな絶望が若者たちの間にも蔓延しているように思えたからだ。
「15歳の時にはじめて社会運動に参加して、今年で7年が経ちました。香港人として『やらなきゃ』という責任感を持って活動しています。私はたまたま日本語が少し喋れるので、香港のデモの参加者の一員として、香港の現状、私たちが経験している苦しみや弾圧をちゃんと日本の皆さんにも伝えることが出来たらいいなと思っています。この運動がはじまってからたくさんの市民の人たちが、襲われたり、攻撃されたりしました。私もいつかナイフで襲われるんじゃないかとかそういう恐怖感は常にあります。本当に狙われたら何も抵抗できないですよね。でも、今、自由や権利のために立ち上がらないと香港はもっと危ない社会になるかもしれないので、諦めちゃいけないと思っています」
社会運動をはじめてからは電話を盗聴されることやSNSアカウントがサイバー攻撃を受けることも日常茶飯事となった。2019年8月には、無許可の集会への参加容疑などで香港警察による3度目の逮捕も経験した。
「盗聴とかサイバー攻撃とかは昔からずっとありました。香港では政治活動をしている人の電話が盗聴されるのは当たり前のことなので。だから、私にとっても普通のことになりました。悲しいことですけど。昔はいろいろ精神的に大変だった時期もありましたけど、今は結構慣れちゃいましたね」
監視されている中で、香港政府や中国政府を批判するのは怖くないの?
「全然。逆に聴かせてあげたいくらいです。それが表現の自由なので」
彼女が生まれた翌年の1997年に香港はイギリスから中国に返還された。その後、一国二制度の元で高度な自治が認められていたが、未だに行政長官・立法会の選出の際の普通選挙は実現されておらず、中国による締め付けは年々強くなっている。彼女を含む社会運動に参加する多くの人達は「今、動かなければ私たちの香港はなくなってしまう」そんな思いで腹を括っているように思えた。
*香港衆志
2016年に設立された香港の政党。「民主自決」を掲げ、香港の政治体制を香港人が住民投票で決めることを求めている。周庭さんは初代事務局長を務め、現在は常務委員として、デモへの参加や広報の活動している。
「私は高校生の時から社会運動に参加しているので、試験を受けて論文を提出する以外は、あんまり普通の大学生が経験することはやってない気がします。よく香港のメディアでも聞かれるんです。もし、社会運動に参加していなくて、一般人だったらやってみたいことはありますか?って。でも、私にとってそれは答えるのが難しい質問です。今、このポジションにいるからこそ経験できることはたくさんあります。だから、どっちがいいとか、比べる話ではなくて。これからも、このポジションだからこそできることをもっとやればいいって思っています。みんなも自分の人生の中で、たくさんの選択をするからこそ経験できることがあるじゃないですか?」
青春の大半を社会運動に賭けてきた彼女は、気づけば国内のみならず日本をはじめ世界で注目されるインフルエンサーとなっていた。自身の将来についてはどんな展望を思い描いているのだろうか。
「私は、たまたまメディアの前に立つ機会があって、注目されることも多いですが、もともと社会運動の中には様々なポジションがあるんです。デモの最前線に立って警察とやり合う人もいれば、寄付を集めて活動を支える人もいる。みんなそれぞれのポジションがある中で、私には発信をするというポジションがあるので、これからも自分ができることを精一杯やりたいなって思っています。私の未来がどうなるか……。それは、香港の未来と繋がっていることだと思うんです。だから、どういう人になるかは香港の未来次第ですね。就職については、政治に関わる仕事をやると思います。でも、私は結構いろんなことにチャレンジするのが好きなので、政治でないことに挑戦してみたいという気持ちもあります」
例えば、どんなこと?
「全然政治と関係ないんですけど、最近の個人的な夢は日本のファッション誌の取材を受けることです。日本のファッション誌が好きで、可愛く撮られることにすごく憧れがあるんです。いつか出られないかなと思いながら、取り寄せたnon-noを読んでいます(笑)」
私たちが社会でどう生きるか、それはすべて政治とつながる話
2019年11月に公表された日本財団の「18歳意識調査」では、「国や社会に対する意識」に関する項目で、日本の数値が諸外国に比べて際立って低いことが話題となった。浮き彫りになったのは、自己肯定感が低く社会への関心が薄い若者の姿。そんな、日本の現状について、彼女はどう考えているのだろうか。
「日本の若者と言えば、あまり政治に関心がないとか、投票しないとか。そういうイメージが強いです。皆さんはよく日本は平和と言いますが、日本の社会にも、不公平とか、みんなが納得できないことがきっとありますよね。日本人はすごく我慢強いというイメージがあるんですけど、不公平の前に我慢するのではなくて、ちゃんと自分の主張、自分の意見を話すこと、立ち上がることが大事だと思います。(国や社会に対する意識は)香港の若者は間違いなく高いと思いますよ。日本の皆さんは、まだ自分の力を自覚できてないじゃないかと思います。自分が何をやっても無駄とか、投票しても意味がないとたくさんの人が思っているかもしれません。でも、そんなことはなくて、ひとりひとりの投票や社会運動への参加で国が変わるかもしれません。政治は私たちの日常生活で、私たちが社会でどう生きるか、それはすべて政治とつながる話ですから、日本の皆さんには、香港のことを見て、日本は平和だなと思うのではなくて、世界や自分が生きている社会で常に何が起こっているのかを考える意識を持って欲しいです」
香港の未来や社会運動について語る時は淀みなく淡々と、香港政府や中国政府への主張を口にする時は語気が強く感情が籠った声で、話題が日本のアイドルやアニメに及ぶと途端に無邪気な笑顔で。そこにあるのは、真っすぐで、少し気が強くて、感情表現が豊かで、意外とオタクな一面もあるどこにでもいる若者の姿だった。
インタビューの最後に彼女がファンだと公言している嵐の話題に触れてみた。
「そういえば、嵐の話全然しなかったですね。(笑)嵐は本当に好きなんですけど、来年で活動休止しちゃいますよね。日本に行きたいけど、たぶん後1年は難しいかな。だから、会えないと思うけど……」
きっと香港の若者も日本の若者も中身は一緒に違いない。
遠い存在だった香港の若者が今は「となり」にいる気がした。
取材の最後に彼女は「よかったら、香港にも来てください!」と言って、「でも、きっと来ないですよね。」と呟いた。特に深い意図はない一言だったかもしれない。けれど、これまで一方的に相手に向けて投げ続けていたボールをふいに投げ返されたような気がした。そして、そのボールはまだ手元に残ったままになっている。
追記:2019年8月に逮捕された際の保釈の条件として、彼女は日本をふくむ海外への渡航が制限されている。インタビュー当時に検討していると話していた2020年1月の日本への渡航は、結局申請が認められず実現しなかった。