東京から新幹線で約7時間。神話の舞台・出雲を越え、さらに西に進んだ先にある地域、島根県石見(いわみ)地方。
2007年に世界文化遺産に登録され、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて栄えた日本最大の銀山・石見銀山を観光地として持つ。4市5町からなる石見地方は、島根県の県総面積のおよそ半分を占めるが、少子高齢化が顕著に表れ、人口は県民の3分の1にも満たない。
そんな日本海と山間の景色が続く石見地方で継承され続けている郷土芸能がある。「石見神楽(いわみかぐら)」だ。
神楽とは神に奉納し、豊作・豊漁を願い病気を追いはらう神事だ。日本中に神社や地域に根付いたその土地の神楽が継承されている。なかでも中国地方は特に盛んだとされ、「出雲神楽」「石見神楽」「芸北神楽」「備中神楽」など多くの流派の神楽が現在も舞い踊られている。

「石見神楽」のある石見地方は人口およそ17万人の地域にも関わらず、130社を超える神楽団体が今日も存在している。石見地方では秋祭りの時期になると神社の境内に太鼓や笛の音が鳴り響き、「八岐大蛇(やまたのおろち)」や「恵比寿大黒」など古事記や日本書紀を題材にした物語が舞い踊られる。
太鼓や笛の奏楽の音が鳴り響き演目が始まると、神秘的で荘厳な雰囲気に包まれる。豪華な衣装と精巧な神楽面を身に着けた演者たちは、力強く舞い、時には激しく剣を振り下ろしながら物語を展開していく。物語が終盤に差し掛かるにつれて奏楽の音は力強さを増し、舞台の中央では、神々と鬼が織り成す壮大なドラマが繰り広げられ、観客はその迫力に圧倒される。そして、すべての演目が終わったあと、汗をぬぐいながら笑顔で登場する演者の姿に心を掴まれる。都内でも神社の例大祭や島根県のイベントなどで目にできる機会はあり、最初は神楽という分かりづらいものに興味がなさそうにしていた人でも、一度その迫力に触れてしまうと気づけば見惚れて立ち止まり、いつの間にかスマホを片手に動画を撮影してしまう。

豪華な衣装にダイナミックな演技と音で繰り広げられる神と鬼の世界は、さながらヒーローショーのようだ。日常の中に石見神楽がある環境で生まれた石見の子どもたちはテレビの戦隊ヒーローやヒロインに憧れるよりも先に、爛々(らんらん)とした目で神話のヒーローに憧れ、「自分もいつかこれを舞いたい」と夢を見る。石見神楽は神事でありながらも、地域の皆で楽しむエンターテイメントとして次世代への文化継承を実現している。
千葉県市川市で生まれ育った石井海(いしい・かい)さんは、石見神楽をやりたい一心で千葉から島根へ単身高校進学し、戻ってきた今も東京で石見神楽を継承している。
神楽とは何かと彼に聞くと「死ぬまで一生やるものです」と話す。都心で生まれ育った青年を「死ぬまで一生やる」とまでに魅了する石見神楽とは一体なんなのだろうか。そこには型にとらわれない自由さと高みを目指したいと願う信念があった。

仮面ライダーも好きだったけど、神楽の方が僕にとってはヒーローです。
石見神楽に出会ったのは1歳のときです。母ちゃんが島根県出身で、毎年島根のじいちゃんちに帰っていて、そこで石見神楽と出会ったんです。じいちゃんの車でじいちゃんの友達の社中(註1)を見に行って。それが運命の出会いでした。親が撮った神楽のビデオを千葉に帰ってからもずっと見てたら、ばあちゃんが神楽のビデオを送ってくれて。家ではずっとそれを見てました。
- 註1:石見神楽の団体のこと。大正以前は、各地域の神職または氏子が奉納のために集まって団体を形成していたが、20世紀後半からは「同好会・保存会」として結成された団体や、島根県外の有志で発足した団体も増加。このため氏子として地元の団体へ弟子入りせず、好みの団体へ加入するケースが主流となっている。非営利で活動し、出演費は衣装やお面の購入費などに充てるのが一般的。
幼稚園くらいの時にじいちゃんの親戚が赤鬼の面を送ってくれて毎日被って家で神楽ごっこをしてました。仮面ライダーも好きだったけど、神楽の方が僕にとってはヒーローです。ビデオに撮った神楽の演目をずっと見て真似していました。みんなは仮面ライダーやウルトラマンごっこをしてるけど自分はスサノオノミコトごっこをやってました。じいちゃんも母ちゃんも神楽そんなに好きじゃなくて、なんでそんなに好きなの?って言われてます(笑)

とにかく神楽がやりたくて、浜田市のお祭りで地元の子に混じって神楽を見に行って、見た演目は全部家で真似してました。じいちゃんの家の斜め前に年上の神楽好きの男の子がいて、神楽についてたくさん教えてもらいました。社中で流派が違うってことも知りました。その子の友達と3、4人くらいで神社の神楽殿に登って神楽ごっこをしたり、小学校高学年で初めてできた神楽友達でした。台詞はなに言ってるかわからなかったから真似してモニョモニョ言ったりして。千葉の友達にはおもちゃの刀を持ってもらって神楽を布教してました。年に2回くらい盆と正月に島根に帰ったときはじいちゃんの友達の社中を見に行って。道具と烏帽子をもらったときは、「本物だ!」って感動して、すごく幸せでした。

中1のときに、東京で石見神楽を継承している東京社中の存在を知って見に行って、即楽屋を尋ねて「入りたいです!」って手作りの名刺を書いて電話番号を渡しました。その後、練習するから来ませんかってメールが来た時は「やっと話が通じる人たちと会えるんだ」と思えてとても嬉しかったです」

神楽部が浜田市の高校にはあるって知って絶対行きたい!って思って。
中学の時に東京社中に入って、初めての本番は結婚式で披露する「恵比須」の太鼓でした。めちゃくちゃ緊張したけど、感動しました。その頃に神楽部が浜田市の高校にはあるって知って絶対行きたい!って思って。じいちゃんちから高校通うって決めて、浜田商業高校に進学して、神楽部(註2)に入りました。コンビニも歩いていくには遠いし、カラオケも駅前に1個、昭和感があるのしかないし、便利ではないですけどそれよりもなによりも浜田には神楽がある。浜田に住めるのがとにかく嬉しかったです。チャリで学校まで通う途中に神楽のお面屋さんがあって。通学するたびに『神楽のお面があるー!』ってテンション上がりました。しかもチャリで行ける距離でいつでも神楽をやっているから僕にとってはディズニーランドよりも楽しいです。神楽以外に好きなもの、食べ物?くらいしかないですね。ゲームも好きだったけど途中で飽きちゃって。浜田では釣りも好きでした。部活の先輩と釣りに行って、神楽行って。そんな日々です。自然の中でできることしかしてない。それに、毎日神楽やってたら他のことをする余裕がないんです。
- 註2:神楽部のある高校は島根県内には3校と愛好会が3校ほど。毎年7月にはルーツの近い広島県安芸地方の神楽部も出場する「高校生の神楽甲子園」が開催されている。
神楽部と並行して、亀山社中(註3)にも入りました。神楽部は週6で部活がありました。放課後4時すぎから夜6時半まで神楽部で稽古して、そのあと夜は社中の人に車で迎えにきてもらって社中の稽古に行きます。大体車では爆音で神楽が流れていますね(笑)。社中は働いている人も多いので、仕事終わりの19時ごろにそれぞれ稽古場に集まってきます。出演は土日にあることが多いので、土日もずっと神楽です。もう24時間神楽って感じです。
- 註3:石見神楽亀山社中。浜田市で1999年に発足され、神楽競演大会での受賞歴も多い。

神楽って東京では大半の人が知らないですが、浜田だと子どもの頃から見ている当たり前のもので、神楽部には入ってないけど社中で神楽やっている子とかもいました。あと、野球部だけど神楽めっちゃ上手い人がいたり。僕の世代は野球部の部長が同じ亀山社中でした。2クラスある中で10人くらいがそれぞれ社中に入って神楽してましたね。だから神楽をやるってことは珍しくもなんともない、普通のことでした。サッカーやるか、神楽やるかみたいな感じです。僕、勉強ほんと嫌いなんすよ、数学くそくらえって感じで(笑)。 神楽が授業だったら満点とれるのにな。追試があっても「神楽行かないといけないんで!」てさぼったりしてました。高校に勉強しに行ってるというより、神楽しにその高校選んだので(笑)

やばいって思う舞や太鼓って、その人にしかないものがあるんですよね。
石見神楽は、自分たちで考えながら作っていくものなんです。その時代に合わせて変化していきます。その時代ごとの舞や衣装の流行りもあって、流行に乗るのも良いし、あえて古いものを今やるのもかっこいいです。かませます。
基本、舞は見て覚えます。口頭で伝わってる部分もあるので、とにかく見て聞いたものを体で覚えていく。違うっていわれたら直して、所作を覚えていきます。ただ手順に従ってるだけの舞は面白くないし、こだわりのある舞が一番いい。みんなそれぞれ憧れの人がいるんですけど、言わないんですけど、憧れのその人になりたいって感じはあります。ただ完コピしても面白くないし、それをいかに自分らしくするか、体に叩き込むかって感じですね。

時代ごとにレジェンドって呼べる人がいて、各時代のレジェンドを研究するんです。この前、70-80歳近いレジェンドが舞っていてめちゃくちゃかっこよくて。息遣いとか所作とか、歳を重ねるほど良くなるものもあるんだって感動しました。やばいって思う舞や太鼓って、その人にしかないものがあるんですよね。その人の軸があるかどうかだと思います。

基本は一緒だけど同じ役でも社中や舞う人によっても違う。じいちゃん世代の流行を今知れた時には「うお!」ってなります。昔のレジェンドにかまされることもあります。今はYouTubeで神楽が見れるけど、昔は手探りでやってたから個性があって、自分をいかにかっこよく見せるかこだわっていて。それが垣間見えるのが楽しいです。部活でもずっとそういう話をしてました。昔のビデオをDVDに焼き直して、レジェンドたちの若い頃の動画を見漁って、「自分たちもこれやったらかっこいんじゃない!?」みたいな研究をずっとしてました。

自分の舞に満足はしないです。一生追い続けるものだと思います。
基本神楽をやってる子はみんな神楽が好きで、負けたくなくて、特に好きな思いで負けたくない、って強い気持ちを持ってると思います。相手に上手いなって思わせたいっていうか。どうやったらレジェンドを越えられるかなって。舞に上も下もないと思うんすけど、でもそんな気持ちで舞ってます。

僕の憧れはおじいちゃんの友達で、僕が浜田に行った翌々年に亡くなってしまいました。レジェンドの舞もずっとビデオや口頭で残っていって、上には上がいて、だから自分の舞に満足はしないです。一生追い続けるものだと思います。衣装は重いし暑いし、意識失うくらいしんどいこともあります。出た瞬間に片足立ちで決めなきゃいけないのにそれができなくて、顔面蒼白で恥ずかしいっすよ。超ダサいっす。でも舞台に上がったら立ち続けなきゃいけないし、神楽部にも自分より知識持ってる人がたくさんいて、負けたくねえなあって思ってました。

神楽に出会ってなかったら中途半端な人になってたと思います。
高校卒業後は島根で就職して工場で働いてましたが辞めて、成人式のタイミングで東京に帰ってきました。やりたい仕事が分からなくて、しばらく何もせずニートしながら東京社中(註4)で神楽やってました。ハローワークに行ったら、職業訓練校を案内してくれて、介護の学校に行って、いまは介護の仕事をしています。介護の資格があったら浜田に帰ったときに、おじいちゃんおばあちゃんが多いから役に立てるって思って。高校生の頃によく遊びに行かせてもらっていた面職人や笛職人のおじいちゃんたちに何かあったら介護ができるようにって思ってます。いまは土日も仕事して、神楽があったら希望休とってます。
- 註4:石見神楽東京社中。広島や島根出身の石見神楽経験者や興味を持った様々な出身地の男女で構成。都内近郊での神社の例大祭への出演や、関東で開催される山陰地方に関連したイベントへの出演や結婚式など活動を行う。

神楽に出会ってなかったら中途半端な人になってたと思います。神楽部で出会った一個上の人たちが芯が通っててかっこよくて、自分も中途半端じゃダメだって思えました。挨拶をちゃんとすることとか、礼儀作法とか、神楽を通して上の世代から伝わってることがたくさんあります。
——なぜ娯楽に溢れた現代で、今もなお冷めやらぬ熱狂が続いているのだろうか。
「継承していく、という使命感よりも、楽しいからだと思います。いろんな世代の人が熱中して、みんな本気で神楽をやってる。誰も中途半端じゃないからその熱が何百年も伝わっていってるのが、石見神楽だと思います」
太鼓と笛の音が聞こえてくるとどこからともなく人々が集まりだす。百年前から、目の前で展開される神話の世界に人々は胸を躍らせてきた。その熱気は時を超えて熱狂を生み出し続ける。