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「ジャズを演奏することは、社会のあり方の提示でもあると思います」。年間200以上のライブをこなす天才ピアニストの、「自由とは何か」と自問自答するVOICE(ジャズピアニスト・作曲家/31歳)
「ジャズを演奏することは、社会のあり方の提示でもあると思います」。年間200以上のライブをこなす天才ピアニストの、「自由とは何か」と自問自答するVOICE(ジャズピアニスト・作曲家/31歳)

「ジャズを演奏することは、社会のあり方の提示でもあると思います」。年間200以上のライブをこなす天才ピアニストの、「自由とは何か」と自問自答するVOICE(ジャズピアニスト・作曲家/31歳)

「ジャズを演奏することは、社会のあり方の提示でもあると思います」。年間200以上のライブをこなす天才ピアニストの、「自由とは何か」と自問自答するVOICE(ジャズピアニスト・作曲家/31歳)

ジャズにあまり詳しくない人のために、まず簡単な説明から。
ジャズという音楽の特徴のひとつに即興演奏、いわゆるアドリブがある。
白紙の譜面の上を、ミュージシャンは自由にイメージを描き、自由に演奏する。
アドリブにはそれぞれの演奏者の能力と個性が表れて、ミュージシャン同士の音による“会話”が交わされる。“会話”はお互いを刺激し合って、時に想像を超えるアドリブが飛び出すこともある。それがジャズの醍醐味のひとつだが、実のところ完全な自由が保証されているわけではない(とりあえずフリージャズを除く)。ジャズミュージシャンたちはある決まりごとの中だけで、自由が許されている。ジャズを演奏するということは、“決まりごとの中の自由”と格闘する行為でもあるのだ。

「ジャズを演奏することは、社会のあり方の提示でもあると思います」。年間200以上のライブをこなす天才ピアニストの、「自由とは何か」と自問自答するVOICE(ジャズピアニスト・作曲家/31歳)
最近は毎朝メンデルスゾーンを練習していると言いながら、見えない鍵盤を弾き出した。

ここにひとりのジャズピアニストがいる。
魚返明未、31歳。「おがえりあみ」と読む。
4歳からピアノを弾き始め、東京芸術大学の作曲科でクラシック音楽を学んだ俊英だが、高校時代からすでにジャズミュージシャンとしての活動も行っていた。今では東京のジャズクラブを中心に年間200を超えるライブ活動を行なう、ジャズ界注目の若手ピアニストだ。僕は観客として魚返明未のライブに足を運ぶうち、一歩踏み出してインタビュアーとして話を聞くようになった。この才能あふれる若者について、もっと深く知ってみたいと思ったからだ。

第何次かわからないけど、ジャズがブームになりつつある。コミックの『BLUE GIANT』(石塚真一作)は1000万部近い売り上げを記録し、2023年の2月には映画化もされた。雑誌『BRUTUS』の2023年3月1日号ではジャズを特集して完売したとも聞く。ポップスチャートでも、ジャズの影響を受けたミュージシャンの活躍が目立つ。星野源や藤井風は父親がジャズ喫茶を経営していて、幼い頃からジャズの洗礼を受けていたし、King GnuやKan Sanoなどジャズやクラシックの高い技術をベースにしたアーティストが人気を呼んでいる。アメリカでもジャズピアニストのロバート・グラスパーが、ヒップ・ホップやR&B、ソウル、ポップスとジャズを融合させて、5度もグラミー賞を受賞している。

東京のジャズシーンも静かな活況を呈している。東京にはジャズが聴ける店が、とてもたくさんある。@JAZZというジャズ好きのポータルサイトには、169軒ものジャズスポットが掲載されている。その中には日本ならではのジャズ喫茶やジャズバーという、オーディオで聴かせてくれる店も含まれているが、リアルにライブを聴かせてくれる店も、数十件はある。つまり東京では夜毎に数十のジャズライブが繰り広げられているというわけだ。ニューヨークに果たしていくつのジャズスポットがあるかわからないが、きっと東京の方が多いと無責任に断言したい。

そんなジャズブームに踊らされたわけではないが、ジャズの魅力を再発見して、新宿にあるジャズクラブ『ピットイン』に、毎週のように通うようになっていた。魚返明未を知ったのは、あまり期待もせずに観たライブでだった。『.Push(ドットプッシュ)』というグループで彼はピアノを弾いていた。その時の演奏が、ちょっと凄かったのだ。時に立ち上がり、唸り声を出しながら汗だくで鍵盤を連打する。そのアドリブも既聴感のない新鮮なフレーズの連続で、このピアニストは次元が違うな、というのが率直な感想だった。
その次に聴いたのは丸の内にある『コットンクラブ』というライブハウス。井上銘というやはり期待の若手ジャズギタリストとのデュエットだった。この日は魚返明未のオリジナル曲を中心に演奏して、ピットインとは違う少ない音数を効果的に使い、風景が見えてくるような叙情的な演奏も聴かせてくれた。

変幻自在。そして常に新鮮で、心を震わせてくれる。
天才という言葉が素直に頭に浮かんだ。
ジャズというある意味特異なジャンルの音楽に、なぜ彼は惹きつけられたのか?彼を通してジャズの本質について深堀してみた。
そこから浮かび上がってきたのは、「自由と救済」というキーワードだった。

「ジャズを演奏することは、社会のあり方の提示でもあると思います」。年間200以上のライブをこなす天才ピアニストの、「自由とは何か」と自問自答するVOICE(ジャズピアニスト・作曲家/31歳)
ライブができなかったコロナ禍で、自分のスタイルを見直す時間ができた。

得意なことがとても集中している子供だった。

音楽がとても身近にある家庭でした。父(写真家の魚返一真)はバンドでギターをやっていたこともあって、フュージョンやブラックミュージック系のギタリストのレコードがたくさんありました。父は高校時代にウッドストック(註1)に衝撃を受けたらしく、家でもビデオをよく観ていました。まだ小学生の僕には全裸のヒッピーの映像とか、どう受け止めていいかわからない年頃だったんですけど(笑)、父に聴かされているうちに洋楽に興味を持つようになり、小学校5、6年生くらいにはドアーズとか、ピンク・フロイドとか、スティーリー・ダンとかキーボードのいるバンドを好きになっていました。今思えば屈折しているというか、ひねくれてしまったというか、小学生でブルースの要素の強い音楽が最初から好きでしたね。作曲することにとても興味があったので、ブルース的な要素をどう曲作りに活かしているかっていう視点で、聴き比べていたと思います。

  • 註1:ウッドストック・フェスティバル/1969年8月15日から3日間、ニューヨーク郊外で開かれた野外コンサート。30組以上のロック・グループが登場し、40万人以上が集まった。ベトナム反戦運動とヒッピームーブメントの頂点として、ロックの歴史に残るイベントとなった。

ピアノを始めたのは4歳の時で、自分で初めて作曲をしたのは幼稚園のころでした。小学1年生の時には、夏休みの家族旅行で蝶を取ったりしたので、「オオムラサキ」とか「アサギマダラ」とか蝶の名前の曲を作って、自由研究で提出したことを覚えています。
僕はできることとできないことがとてもはっきりしていて、興味のないことは全然やろうとしないし、全然できない。両親も音楽に関しては才能があるみたいだからがんばりなさいと。でもそれ以外のことはあまり期待されていない感じだったかもしれない。小学校受験をして東京学芸大附属小金井小学校に入学したんですが、その受験の時にも落ち着いて座っていることが全然できなかったので、立ち上がったりしちゃってたと思います。

学校の友達が近所にいなかったこともあって、たいてい1人で遊んでいました。当時熱中した遊びは、想像の中で野球のリーグを作って試合をすることでした。架空の国の架空のプロ野球リーグを作って、全部の選手の名前から成績とかそれぞれのチームや選手のストーリーも全部自分で考えて、4チームくらい作るんです。それで毎日選手になりきって頭の中で試合をするっていう遊びです。家の中でゴムボールを実際に投げて、投げた後バッターになって打って走るみたいな(笑)。自分で実況アナウンスもしながら、試合が面白くなるようにドラマがあった方がいいんじゃないかと考えて遊ぶんです。
この遊びは結構長くやっていたと思います。幼稚園から中学校くらいまで。サッカーが好きな時はサッカーのリーグを作って。架空のバンドを作ったこともあります。実際に曲もいくつか作って、ヒットチャートを作って。
母も僕の遊びをそのままやらせてくれていたから、別にそういうことが楽しいなら、いいかなと思っていてくれたんじゃないですかね。ちょっと普通とは違う、変わった子だったと思います。

「ジャズを演奏することは、社会のあり方の提示でもあると思います」。年間200以上のライブをこなす天才ピアニストの、「自由とは何か」と自問自答するVOICE(ジャズピアニスト・作曲家/31歳)
アドリブでは「自分の予想外なところに行きたい」という。

芸大を目指しながら、めちゃくちゃジャズもやっていた。

中学に入るとプログレッシブロックやサイケデリックロックにハマっていくんですが、チック・コリア(註2)の『リターン・トゥ・フォーエバー』というアルバムを聴いた時に、ピンク・フロイドに似ていると思ったのが、ジャズ・フュージョン系のアーティストを聴くようになったきっかけでした。それまでジャズは難しい音楽だと思っていたんですが、自分でも聴けると思ったんですよね。チック・コリア以外にもジョー・ザビヌル(註3)とか、割とロックに近いジャズのアーティストを聴くようになりました。
エマーソン・レイク・アンド・パーマーというプログレッシブロックの『展覧会の絵』というアルバムの中に、ビル・エヴァンス(註4)の『Interplay』という曲が引用されているんです。そんなリスペクトしていたロックアーティストを深堀りしていくと、そのルーツの音楽としてジャズを発見したりもしました。

  • 註2:チック・コリア/ジャズピアニスト。マイルス・デイビスのクループや、『リターン・トゥ・フォーエバー』という自己のバンドで、エレクトリックピアノを駆使して大ヒットを生んだ。2021年他界。
  • 註3:ジョー・ザビヌル/マイルス・デイビスのグループでエレクトリック・ジャズの始まりを告げた『ビッチェス・ブリュー』(チック・コリアも参加)で、大きな貢献を果たした。その後自己のグループ『ウェザー・リポート』で『へヴィー・ウェザー』などジャズ・フュージョンの時代を切り拓く作品を残した。2007年他界。
  • 註4:ビル・エヴァンス/1950年代中頃から1980年の死の直前まで活躍したジャズピアニスト。クラシック音楽の教育を受け、大学でも音楽を学んだ。「インタープレイ」というそれぞれが対等に掛け合うセッションを唱え、ピアノトリオでの名アルバムを多数残した。モダンジャズの巨人の1人。
「ジャズを演奏することは、社会のあり方の提示でもあると思います」。年間200以上のライブをこなす天才ピアニストの、「自由とは何か」と自問自答するVOICE(ジャズピアニスト・作曲家/31歳)
ギタリストの井上銘とは同い年で、高校時代にジャムセッションで知り合った。

高校の見学で学芸大附属高校の文化祭に行った時に、ジャズ研究会があってジャズ喫茶をやっている先輩たちがいたんです。ジャズをやるなんてすごいかっこいいな、楽しそうだなと思って。僕もジャズをやったら憧れているミュージシャンみたいになれるかも、みたいに思って、高校に進学したらジャズ研に入りました。音楽の趣味が一致する友達が中学までほぼいなかったんですが、ジャズ研にはいました。でも先輩よりも僕の方がジャズには詳しかったですけど(笑)。今もベーシストで活動している手島甫(註5)くんとか、彼は同級生で今でもやっぱり深い関係です。学芸大附属高校は単なる進学校というより、いろんな人がいて、僕の周りでもデザイナーになった人もいますし、音楽家になった人もいます。デュオのアルバムを作ったギターの井上銘(註6)くんと会ったのは高校2年か3年のころのジャム・セッションでした。ドラマーの石若駿(註7)くんにも同じころ会ったと思います。2人とも当時からすごかったですね。

  • 註5:手島甫(てしま・はじめ)/ベーシスト。中学校からエレクトリックベースを、高校からコントラバスを弾きはじめる。2015年ニューヨークに渡り、ライブハウスやイベントなど多数出演。2017年に帰国。現在は東京都内を中心に、各所で演奏活動中。
  • 註6:井上銘(いのうえ・めい)/ギタリスト。15才の頃にギターをはじめ、高校在学中にプロキャリアをスタート。東京を中心にワールドワイドな活躍をしている。魚返明未とのデュエットアルバムに『魚返明未&井上銘』がある。
  • 註7:石若駿(いしわか・しゅん)/ドラマー。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校打楽器専攻を経て、同大学を卒業。ジャズだけでなく、さまざまなアーティストのサポートとしても活躍。映画『BLUE GIANT』でも演奏を担当している。

ジャズと並行してずっとクラシックのレッスンも受けていたんですが、高校2年の時にピアノの先生から音楽の道に行きたいんだったら、芸大のピアノ科は難しいけど作曲科だったら行けるかもしれないって言われて、作曲の先生を紹介していただいて受験することにしました。結局3浪してようやく合格したんですが、長かったですね。高2から数えると5年弱ですから。クラシックの伝統的な作曲法を勉強しながら、めちゃくちゃジャズもやっちゃってまして(笑)。それも浪人した原因なんですけど、まあ最終的にはひとつの道に合流するだろうと楽観してたんですが、親はそうは思ってなかったと思うんです。予備校にも行ってないし、ジャズをやってる時の方がさみしくないから、それでジャズに熱中しちゃったというのもありますけどね。

浪人のころ、高田馬場の『イントロ』というライブハウスで、マスターに気に入られてよくセッションのホストをやっていたんです。そのマスターに「受験なんかやめちゃいな。芸大なんて行かないでいいから」っていつも言われてました(笑)。
クラシックの現代音楽とジャズは、同時代の音楽として根底には確執みたいなものがあって、そういう意味ではマスターの正直な言葉だったと思います。僕は両方が両方のことをあまり受け入れられていない場所で、両方に足を突っ込んでいたって感じだったんです。
受験の時はジャズとクラシックは僕の中ではまだ全然合流していなかったんですが、入学すると、さああなたの創作をやってくださいって言われるので、そこでジャズ的なエッセンスが出てきたりして、徐々に合流を始めていきました。

「ジャズを演奏することは、社会のあり方の提示でもあると思います」。年間200以上のライブをこなす天才ピアニストの、「自由とは何か」と自問自答するVOICE(ジャズピアニスト・作曲家/31歳)
渋谷のJZ Brat SOUND OF TOKYOで、音楽ジャーナリスト中川ヨウプロデュースによる、魚返明未トリオ+井上銘のリーダーライブ。

演奏するたびにジャズに救われている。

芸大に入ってよかったのは、自分がやってきたジャズとか、好きだったロックとクラシック音楽がどういう関係なのか捉えられたことです。ジャズはいわばアメリカの黒人たちの民族音楽(註8)なんですけど、奴隷としてアフリカから連れてこられた人々が、アメリカでの厳しい環境の中で生み出さざる得なかったアイデンティティが根底に流れていると思います。日常生活の中での救いみたいなものがその出発点にある。そこがクラシックとの大きな違いだと思うんです。もちろんクラシックもヨーロッパ人の民族音楽だし、大いに救いはあるんですが、黒人音楽の救いとはちょっと違うものだと思っています。
ジャズが本来持っている自分たちへの救済に、僕自身もジャズを演奏するたびに救われていますし、聴く人も救われてほしいと思っています。演奏者と聴き手という関係性が、ジャズの救済によって繋がる時があるんだと思うんです。僕自身が救われたいと思っている時にジャズを聴いて救われた経験があるので、やっぱりそれは常に同時に発生することだと思うんです。

  • 註8:ジャズが生まれたのは19世紀末のアメリカ南部ニューオーリンズ。1865年の奴隷解放後も、黒人たちは過酷な差別と厳しい労働の日々を送っていた。そんな自分たちの救いとしてブルースやジャズを生み出した。

ジャズは自由な音楽だとよく言われますが、音楽としての側面だけを語ればあんまり自由じゃないと思っています。ジャズのミュージシャンたちはみんなそう思っているはずです。次に弾く音の高さとかリズムを選べるというという程度の自由はあるかもしれません。でも実際は曲という決まり事の中での自由でしかありません。それは逆に言うと、ルールがあるからこそ自由が輝くのかもしれないとも思うんです。曲という枠組みがあって、その中でミュージシャンは「自由を求める意志」を自分の音で表現する。その自由を求めるプロセスそのものが、アドリブだと思うんです。「自由を求める意志」は、「精神の自由」と言い換えてもいいかもしれません。自分が自分の自由を、個人が個人の自由を認め合うことこそ、「精神の自由」そのものじゃないですか。敬愛するウェイン・ショーター(註9)が「ジャズとは人生を祝福することだ」という意味の言葉を残していますが、自分の人生を祝福すると同時に、人の人生も祝福する。その肯定力こそがジャズの持つ「自由と救済」の本質を表していると思います。

  • 註9:ウェイン・ショーター/サキソフォン奏者。マイルス・デイビスのバンドや、ウェザー・リポートで活躍しながら、ソロとして『スピーク・ノー・イーヴル』などの名盤も残した。スティーリー・ダンなどロックミュージシャンとの共演も多い。2023年他界。

バンド全員がバーンと一体となった瞬間は、実はそれぞれの演奏はバラバラなんですよ。ひとりひとりがいびつな音色でアクセントを出していて、それが全然噛み合わないでトゲトゲのいっぱいある丸みたいな形をしているんです。でも自分の音と他人の音の区別がなくなるほど無心になると、バラバラな音が奇跡のように一体化する。そうやって全員が魂を解き放って演奏している時が理想だし、最高に幸せな瞬間なんです。
それこそが自由を求めるというプロセスの幸せな結実ですし、ジャズの本質です。だから演奏する人にも聴く人にも救いをもたらすんだと思います。

「ジャズを演奏することは、社会のあり方の提示でもあると思います」。年間200以上のライブをこなす天才ピアニストの、「自由とは何か」と自問自答するVOICE(ジャズピアニスト・作曲家/31歳)
魚返明未トリオのベーシスト、高橋陸。

今いる場所でそのままのあなたでいてほしい。

ジャズをやるようになって立体的な音がだんだん好きになってきました。立体的ってうまく説明できないんですが、オーディオのように音量や音質を調整するつまみがあって、それをコントロールしているような音じゃなくて、もっと3Dな感じ(笑)。音の高さとか強さだけじゃなくて、繊細さや感情やさまざまに感じ取れる要素が無限にあるような音とでも言うんでしょうか。演奏中は予想外なところに行きたいんですよ。立体的な音の方が予想外なんだと思うんですよね。とはいえ、一方で平面的な音の魅力もあります。音数も少なかったり、場合によっては無音だったり、意外性もないんだけど、なぜか聴く人のハートに染み込んでくるような音。アドリブをしながら作曲をしているような音。そんな平面的な音も立体的な音も操れるミュージシャンが好きですね。
魚返明未トリオの高橋陸(ベース・註10)と中村海斗(ドラム・註11)は立体的な音も平面的な音も出せるミュージシャンです。海斗は音がすごく美しくて柔らかい。リズムでもとても懐が深いというか空間を作り出せるドラマーです。陸はそういう意味では一番平面的で立体的かもしれない。たぶん何も考えていない状態に近いと。本人が喜ぶかわからないですけど(笑)、僕が憧れている状態にとても近いベーシストです。

「ジャズを演奏することは、社会のあり方の提示でもあると思います」。年間200以上のライブをこなす天才ピアニストの、「自由とは何か」と自問自答するVOICE(ジャズピアニスト・作曲家/31歳)
魚返明未トリオのドラマー、中村海斗。
  • 註10:高橋陸(たかはし・りく)/ベーシスト。1996年生まれ。12才でコントラバス、エレクトリックベースを始め、ボストンのバークリー音楽院にフルスカラシップを得て留学。魚返明未トリオほか、都内のライブハウスを中心に活動中。
  • 註11:中村海斗(なかむら・かいと)/ドラマー。2001年ニューヨーク生まれ、群馬育ち。父親はアメリカの著名なドラマー。5歳からドラムを習い始め、中学生のころにはジャズを。2022年に初リーダーアルバム『BLAQUE DAWN』をリリース。

ジャズを演奏するということは、ひとつの社会モデルを作っていることでもあると思うんです。社会のあり方っていったら大げさかもしれないけど、こういう社会っていいですよねって提示したいというのはあるんです。

ジャズって際立って人と違う個性を持った、変わった人が集まって演奏することが多いから、個性的であれというメッセージだと受け取られやすいんですが、そう思わないでほしいなと思ってます。僕らはゆとり世代で結構個性個性って言われて育ったんですが、個性という言葉にプレッシャーを感じちゃう人もいると思うんです。人と違わないといけないのかと。僕はたまたまちょっと得手不得手が激しくて、人と違うように見えたかもしれないけど、個性を求められることで苦しんでいる人もいるのかなと思ってて、今いる場所でそのままのあなたでいてほしいっていうことを、ジャズを通して一番伝えたいです。
違う人間同士が違う音を奏でながら、お互いを認め合っている。それぞれの音がいつの間にか一体化して素晴らしい音楽を生み出している。そんな社会だったらいいと思いませんか?

「ジャズを演奏することは、社会のあり方の提示でもあると思います」。年間200以上のライブをこなす天才ピアニストの、「自由とは何か」と自問自答するVOICE(ジャズピアニスト・作曲家/31歳)
「この近くにおいしいカレー屋さんがあるので、そこに行こうと思います」。
池袋での取材が終わるとライブへと向かった。

百数十年前からジャズは最高に素晴らしい!

1人だけしか好きなジャズピアニストを選べないとしたら、バド・パウエル(註12)を絶対選ぶことにしています。バド・パウエルはビバップというスタイルでよく括られますけど、ジャズピアニストに必要なすべての要素を含んでいるように聴こえます。だから僕はどんな時でも、どんな状態の時でもバド・パウエルの音楽は受け止められます。常に自分の言葉、音楽の言葉で話しているというか、彼自身を全体で表現している。ためらいもなく。

  • 註12:バド・パウエル/ピアニスト。天才的な奏法でモダンジャズに革命をもたらした。活動期間中はドラッグやアルコールに苦しんだが、数々の名演を残した。ビル・エヴァンスも1人だけ偉大なミュージシャンを挙げるなら、バド・パウエルだと答えている。

毎朝ピアノのレッスンのためにクラシックの曲を弾くようにしています。ずっとバッハの曲を練習曲にしているんですが、最近メンデルスゾーンの『無言歌集』も加えたんです。僕はわりと突っ走り要素の強い演奏をしていて、それが評価されてもいるんですが、それだけじゃダメだなと。もっと演奏の「間」とか、自分の存在感がなくなっていくような、「場」の美しさを感じさせる静かな音の方向も必要だと思っているんです。そう思うようになったのも、コロナであまりライブ活動ができなかった影響が大きかったと思います。そんなこともあって、古典派のバッハからメンデルスゾーンのロマン派的な要素が必要かという発想もあって。ロマン派の豊かな強弱の表現「クレッシェンド・デクレッシェンド」とか、緩急の表現「アッチェレランド・リタルダント」とか感情表現とか、そういったことにもっと気を配れるようになりたいなと思っています。そして次はもっとロマン派ど真ん中のショパンとかにも挑戦したいですね。

僕はジャズの文化の中ではすごい端っこにいると思っています。まず日本人ですし、ジャズが生まれたアメリカからは遠い国でジャズをやっている。でも端っこのジャズシーンも刺激に富んでいて、とても面白い。たくさんの先輩ミュージシャンも現役で旺盛にライブをやっていますし、郊外や地方にも歴史のあるジャズクラブがたくさんある。最近僕はこの国のジャズミュージシャンとしてジャズの素晴らしさを伝えていきたいと思っています。この国で僕がやっている音楽がジャズなんだとすれば、ジャズは人種とか文化とか宗教とか、そういったものを越えていろんな人の人生を受け入れながら、誰でも肯定できる音楽なんだなと思います。

――最後に「ジャズの進化」ということについて質問すると、それを遮るように彼はこう断言した。

進化じゃないです、変化です。だって百数十年前のルーツの頃からずっと、ジャズは最高に、100パーセント素晴らしい!

【おまけ】魚返明未を作ったアルバムとミュージシャン。

① ピンク・フロイド『原子心母』(1970年)

聴いたのは小学5、6年生のころですが、すごい衝撃でした。ロックバンドにオーケストラが入っていて、今までに聴いたことのない音楽でした。プログレッシブロックへの傾倒をこのアルバムがきっかけでした。

② ドン・マクリーン『アメリカンパイ』(1971年)

バディ・ホリーが死んだ飛行機事故のニュースが載った新聞を少年時代のドン・マクリーンが配達するシーンから始まるんですが、『僕にもチャンスがあれば、人々を踊らせることができるだろう』っていう歌詞が、作曲をしていた僕を勇気づけてくれました。

③ ザ・ビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』(1966年)

ブライアン・ウィルソンの最高傑作ですね。それまでのビーチ・ボーイズの明るいイメージとは違い、孤独感をテーマにした作品なので、そういう意味でこの作品にも勇気づけられました。自分を励ましてくれる音楽が好きなのかもしれません。

④ チャーリー・パーカー(註13)『Story on dial』(1947年ごろ)

dialというレーベルに残したチャーリー・パーカー(アルトサックス)のセッションです。ジャズは僕の好きなロックのルーツミュージックとして聴き始めたんですが、チャーリー・パーカーの演奏の凄さに受けた衝撃が、まだ生々しく残っています。

⑤ マイルス・デイビス(註14)『マイ・ファニー・バレンタイン』(1964年)

1964年のライブを2枚のアルバムに分けて発売されたもの(もう1枚は『フォア&モア』)で、僕が人生で一番聴いているジャズのアルバムです。ハービー・ハンコック(ピアノ・註15)の入っている時のマイルスのバンドが一番好きです。マイルスのバンドでピアノを弾いたビル・エヴァンスもチック・コリアも、キース・ジャレット(註16)もジョー・ザヴィヌルもみんな素晴らしいピアニストです。誰が一番好きって選べないです。

  • 註13:チャーリー・パーカー/アルトサックス奏者。ビバップスタイルのジャズを生み出した1人で、ジャズの歴史を書き換えた。最盛期の自分のバンドには、若き日のマイルス・デイビスが参加していた。
  • 註14:マイルス・デイビス/トランペット奏者。ビバップ以降のジャズのスタイルを書き換え続けたのは、すべてマイルスだった。モードジャズの誕生を告げた『カインド・オブ・ブルー』や、エレクトリックジャズの端緒となった『ビッチェス・ブリュー』など名盤を挙げればキリがない。1991年没。
  • 註15:ハービー・ハンコック/ピアニスト。マイルスのグループに在籍中に、『処女航海』『スピーク・ライク・ア・チャイルド』などの名作を発表。その後スタイルを変えながら、『ヘッド・ハンターズ』ではエレクトリックを、ヒップホップを取り入れ世界的にヒットした『ロックイット』などスタイルを変えながら、今も現役で活躍中だ。
  • 註16:キース・ジャレット/ピアニスト。1971年にマイルスのバンドに加入当初は、チック・コリアとのツイン・キーボードだった。プログラムの一切ない完全即興によるライブをよく行い、アルバム『ケルン・コンサート』は大ヒットを記録。日本でも武道館を2日間満員にするなど、ジャズとしては異例の動員を記録したことも。
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