TOKYO VOICE

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人のことなんか助ける前に

自分を救済しろよって

ゾーイは今1歳5ヶ月。大型犬だから3ヶ月ほどスクールで社交をきちんと学ばせて、ちょうど去年の今くらいかな、うちに来たのは。それからずっと一緒です。だからゾーイが僕と一緒に見る景色は、全部初めての景色です。僕は子どものころから犬がいつもそばにいました。でもアーティストとして活動をしていると、やっぱり旅が多いから、いつも一緒にいられるわけじゃない。ずっと飼ってなかったけど、最近になってまた犬と一緒に生活したいと思ったんです。それに 25 年くらい前に一緒に暮らしていた犬を病気で亡くしちゃって。友だちみたいなすごく大切な存在だったから、しばらくは立ち直れなかったんです。まだ2歳くらいだった。亡くなった日はライブの当日で、夜通しずっとそばにいてあげて、朝方に亡くなった。そのまま僕なりの簡単なお葬式をして、その足でコンサート会場に向かい、一睡もしないままライブをやった記憶があります。その犬の写真を後ろのポケットに忍ばせて、演奏しました。まだ天国に行って間もないので、そばにいるなって感じながら気持ちを一体化させて。もちろん観客にはそのことは伝えませんでした。

朝僕が起きると、ゾーイも自然に起きてくる。7時とか7時半くらいです。僕は午前中にアトリエで創作することが多いから、ライティングしたり作曲したり。その間ゾーイはほったらかしです。そろそろお腹が空いたかなって時間に連れ出して、ふたりで事務所に行って、そこでようやく食事の時間です。昼間、僕に時間がある時には外に連れ出して、自然の中で遊ばせたりして一緒に過ごします。夕食も犬が OK なレストランとかで、結構一緒に食事します。ゾーイは近所の子どもたちにも人気があるので、「ゾーイと遊んでいいですか?」って事務所に遊びに来たりします。僕の人生には、子どもたちが周りにいっぱいいるってわけじゃなかったから、すごい新鮮な感じ。犬を飼っている人たちも、愛犬を連れて来たりして、ゾーイのおかげで結構オープンな事務所になっちゃいました。他のスタッフは仕事してたりするんですけど、困りましたね(笑)。

ゾーイが来るまではひとりでいる時間が長かった。意識してひとりでいるわけじゃないけど、性格的にすごく社交的ってわけではないので、やっぱりひとりの時間がプリセットのようにあった。友人たちはゾーイが来てから僕がすごくソフトになったって言います。すごくオープンになったって。自分では何も変わらないつもりだけど、みんなが口をそろえて言うのであれば、客観的にそうなんだろうなって思う。

自分の中の孤独と向かい合うことは僕にはないです。僕は作家なので、人の孤独と向き合う。自分のことははっきり言ってどうでもいいという感じなんです。僕がソングライティングをする時も、自分の主張を披露するのではなくて、誰かの人生や景色をよく観察して、そこに物語を添えて聴いてくれる人に差し出すものだと思っています。80 年代は僕のような歌を歌う人はいなかったから、若者の代弁者のように言われたりしたけど、僕は自分のことを歌ってはいないから、全然重荷じゃなかった。でも同時代のソングライターでやっぱり自分の物語や喜怒哀楽を切り崩して歌にしている友人たちはやがて行き詰まった。曲が書けなくなったり、別のものに走ったりとか。僕が同時代の人たちに何か影響を与えたとしたら、ソングライティングという技術面の話であればすごく納得できる。でも僕の生き方に影響を受けたとか言われると、とても抽象的な話になるので僕にはちょっと理解できない。

僕は自分を常に客観的に見ていて、別の僕が別の人生を生きているのを見ている感覚があります。それはソングライターとして自分のことさえも観察して、感情に溺れないようにしているのだと思う。感情に溺れると本質がつかめないからね。例えば目の前の人がすごくもがき苦しんでいるのを見ても、もちろん人間としてはすぐ助けるけど、ソングライターとしてはできるだけ冷静に見て、状況をスケッチして、なぜこの人がこんなに苦しんでいるのかということをストーリーにしなければいけないんです。そして誰かに伝えて、みんなはどう思うって問わないといけない。だからものすごく冷静にしていないとダメなんですよね。そんな物の見方を自分にも向けているのかなって思う時があります。

僕は東京の下町生まれで、おばあちゃんの言うことは絶対だったんだけど、いつも言われていたこと、アフォリズムがあるんです。「お前はとにかく優しすぎる。情に棹さすと流されるから気をつけなさい」と。僕はまだガキのころだったけど、おばあちゃんは本質的に僕の性格を読み取っていたんだと思う。僕はもともとすごくエモーショナルな子どもで、いじめられている子がいたらすぐに助けに行ったりするような感じだったんだけど、安易にそうしたことに手を出して自分が痛い目を見ることがあるから、情に流されちゃいけないよってよく言われていた。お前は優しい子だし騙されやすいから気をつけなさいって。成長していく途中で、ああおばあちゃんが言っていたのはこの事なのかなという場面に出くわすと、冷静になって本質は何かを見極める。そんなことも僕のパーソナリティに影響したのかもしれない。

例えば自分で理解できないことが目の前で起これば起こるほど、僕のキャメラは寄っていくのではなく、引いていく。引いて見て物事をジャッジしているんです。感情に任せてキャメラを近づけていくと、周りが見えなくなりますから。本質からどんどん離れていく。対象に近づけば近づくほど本質から遠ざかるという経験が僕は多々あるので。だからその逆をやるわけです。これが作家的態度と言えるのではないかと思う。東日本大震災が起きた直後に、僕はあるポエトリーを発表しました。それは僕のオフィシャルサイトで震災のためライブを中止にしたことを伝えるメッセージと共に公開されました。『それを「希望」と名付けよう』と題したこの詩は、亡くなった人たちではなく、生き残った人たちに向けたメッセージでした。メディアにも取り上げられて僕が知らないところでたくさんの賛否両論もあった。不謹慎だという声もあったし、感動したという声もあった。僕は未曾有の大きな災害に対して、作家として言葉を与える義務があるし、それを乗り越えないといけないんです。ひるんではいけない。なので必死に今自分が見ている景色に言葉を与えようとしました。その詩を発表した3月 13 日は、奇しくも僕の 55 歳の誕生日でもありました。

ゼロパーセントです。僕が生み出すもので誰かを救ってあげたいという思いは。傲慢を恐れずに言えば、自分自身の解放と救済のために書いている。人のことなんか助ける前に自分を救済しろよっていつも自分に言っています。詩に限らずアートというものの意味は、それに触れる個人個人がそれぞれ解釈するものだし、その解釈はみんな違う。このアートが示しているもの、表現しているものは俺にしかわからないはずだって、心の奥底で誰にも言わないけど思ってくれる。そんな時にアートは最高に輝く。だから僕がそこに託したものなんて本当に些細なものだし、大して重要じゃないんだってことをいつも言いたい。聴く人が曲を輝かせて、そこに新しい意味を見出してくれる。それで「いいね ! 」って言ってくれたら、僕のソングライターとしての仕事はそこで終了だし、同時にすごく光栄だなって思うよ。

The Voice / Sano Motoharu
Photographer / Mae Kosuke
Edit & Text / Yamamoto Yuki